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2009/12/21

坂の下の雪


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早いもので12月も半ばを過ぎ、江別cafe ensembleのライブを終えてあと今年のライブもあとひとつを残すのみ、いよいよ歳末をひしと実感する時期となってきた。

「歳末」……この言葉を耳にする時、なんだか懐かしい感じがしてくるのは自分だけだろうか。


田舎町に生まれ育ったこともあるだろうが、子供であった昭和30年代、戦後の匂いをそこかしこに多少とも引きずりながら、一方であの高度成長もようやく途についたばかり、まだ人々には経済的な余裕などなく、ただ、そのぶん皆だれもが屈託のない気取らぬ振るまいで生き、そしてそれぞれの暮らしが今となれば驚くほどにおおっぴらで丸見えの世間であった。

良くも悪くも子供の眼にも大人の世界が隠しようもなく見えていて、そもそも個人情報なんて神経質なものも存在しなかったしプライバシーもないに等しいような、そんなある意味おおらか過ぎる時代でもあった。

そのころの歳末といえば、どの商店も大売出しだとか福引きだとか店先で大いに気勢をあげていて、キャバレーのおねえさん達といえばマンボズボンで街を闊歩しクリスマスのパーティ券を売りさばいたりと、まぁとにかく賑やかであった。

まだクルマも普及しておらず自家用車は町に数台、信号機はひとつもなかったから、往来には馬ソリもちらほら混じって大勢の人が行き交い(そもそも車道・歩道の区分もなかった)、買い物客はもちろんのこと、ツケの集金にまわる人もいれば、手形が落ちずに必死な形相で年越しの金策に駆けまわる人もいて、はたまた、みかん箱だの新巻鮭だの歳暮の品をソリに積んではあちこち配りながら挨拶にまわる人もいるわで(海山で獲れた産品や手づくりものも多かった)、もちろん通りすがりで顔を合わせればお互い大きな声を掛け合うというように、何とも言えぬ慌ただしさというか活気があるというか、町全体がつながり合って、苦楽ないまぜとなって、もっと人々の表情が豊かで奔放な感じのする、そんな気ぜわしさだったような印象がセピア色の記憶として残っている。

一年のエンデングと新年のイントロが一緒に交錯する端境期といえばいいのか、そのひと区切り感に街の空気全体が浮き足立っていたといったほうが近いかもしれない。


      ……………………………………………………

そんな年の瀬に想いを馳せながら、たまたまFM放送からクラシック音楽が流れるのをなんとなく耳にしていたら、そのうちにどういうわけか耳がダンボになって、珍しくもきちんと隅々までしっかり集中して聴いている、そんな久々にデリケートな自分がいるのに気づいた。

ええなぁ、クラシック………これは医者本業がために寡作だったボロディンか。

作曲者も身を削る勢いで曲づくりに打ち込んだのであろう、演奏者たちも想いをぶつけ力合わせて創りあげているのであろう、そんなプロセスも思い浮かべながら奏でられる音に目を閉じ耳を澄ましてみると、なんだかその時代を生きた人たちの熱くも切ないロマンというのか、湧き立つ命の力とでもいうのか、さまざまなものがググッと迫ってきてビンビンと体に共鳴してきた。

一時はあれだけのめり込んだクラシック……ピアノ、吹奏楽、指揮、レコード、オケスコア、音大音高要覧……

そこから身を引いてもうかれこれ40年になろうか、今になってあらためて、創作への真摯な向き合いに心打たれ、なんだか夢見がちだった少年時代が懐かしく蘇ってきた。

寝ても覚めても弾いて聴いてに明け暮れたその昔、今思うと、こんな生来の怠け者にでも人並みの「集中力」や「忍耐力」が少しでも身についたとするなら、それは明らかにクラシック音楽のおかげというほかない。

今となっては心身ともに辛抱もままならず根気もなくなって見る影もないが、これは多分に歳を重ねた個人的な事情によるものに違いないけれども、おそらくそればかりでもなく、世の中全体が次第にふわふわ軽くなって、何につけても次から次へ忙しそうにひらひらと渡り歩く、一つのものを大切に抱き続けるよりは、あふれる情報量と次々供給される選択肢を前にして、あれがだめならこれ、これがだめならそれ式の飽くなき欲求に身をゆだね、剥がれ落ちる断片のようにあっさり飽きっぽく適当に使い捨てる、こんな生活作法が当たり前になった背景もあるのではないかと思ったりした。

深い「集中力」、強い「忍耐力」、いつしかいずれもさほど敬意が払われる対象ではなくなった。というか、むしろそれを「重い」とか「暗い」とか言ってはぐらかしたり、合理化の徹底を美旗にムダな努力として簡単にいなして済ますといったことが常態となっていった。

その傾向が強まったのはおそらく、戦後の闇から立ち上がりこの国の人々の勤勉実直が支えたあの高度成長に陰りが見えるようになった昭和50年代あたりからであろう。そして、昭和の終わりから平成の初頭にかけてこの国を襲ったあのおぞましいバブルをピークにして、今では日本人の感覚や態度も短期間のうちにすっかり様変わりしてしまったということなのだろう。

今その空気を敏感に読み取る若い層のなかに、新たな貧困の問題にも関連するが、欲望を煽りっぱなしの刺激から幾分距離をおいて、簡単には踊らされず足元を見据えて暮らそうとする感性の芽が出始めてきているのは、早晩行き過ぎの矯正が必至となるこの先、かすかな光明が射してきたような感じがしてなんとも頼もしい気もする。



折りしも、どういう風の吹きまわしか、最近は古今の画家や彫刻家の一生だとか、はたまた駅伝女子のチームづくりだとか、岡崎や葛西の五輪を狙う肉体改造だとか、倉本聡や山田洋次の若者を率いての老人クリエイトだとか、秋山兄弟と子規の新時代を創る志しの輪だとか、アイドルだった今井美樹の未知の分野とのコラボ挑戦だとか、友人の病魔からの奇跡的帰還・再生だとか……、そうしたことがらが不思議と身のまわりに寄り集まってきて、そのひとつひとつにえらく触発もされ、世の中捨てたものではない、リスペクトの対象はまだまだ意外とあるものだ、などと感じ入るのだった。

そして、自分はといえば現在リハビリ継続中、あらためて「オマエはどっちにどうやって向かうのさ?」自分への問いかけが勢いを増してきた。

風の吹くままに、遅まきながら今は広げていろんなものを見て聴いて弾いてを自分に課しているが、それで終わるわけにもいかないだろう、いつ朽ちるかも知れないが、機が熟して湧き立つような創作の新しい風がどこからともなくふと吹いてくる、一生に一度はやってくるであろうその時を、自然な流れを大切にしながら決して慌てふためいたりすることなく、やはりこれまた辛抱強く石の上で待つことにしよう。


      ……………………………………………………

そろそろクリスマス。おととしは病院だったが、去年は何をしていたか?記憶をたぐってもまるで思い出せない。

今年は運よくライブをやらせてもらうことになった。ボーカルと一緒にクリスマスソングで過ごす夜。12/25は南1西25B-flat(写真)。地下鉄円山公園駅徒歩0分。


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円山の麓にあたる場所であるが、この円山という比較的小さな山は天然記念物に指定されている原始林で、ほぼ手つかずの状態で貴重な動植物が保全されている。一帯には円山動物園・北海道神宮などが点在し、これらがゆるやかな坂道で結ばれ、坂をほぼ下りきったところには円山公園のほかに
坂下グラウンドがある(写真)。このあたりから市街地が全面的に広がるので、いわば都市と自然の境界であり接点である。都心からわずか3キロの位置にこのような豊かな環境があることは札幌の誇りであろう。

このロケーションに加え、ここ数日の降雪であたりは一面の銀世界、ムードは高まる一方である。当日のB-flat、街からは白い恋人が地下鉄に乗って、山からはサンタがトナカイに乗って下りてくるのもあながち夢とは言い切れないであろう。

ここは初舞台、初対面の大柄な彼女との会話もおおいに楽しみながら(どうやらグランドピアノらしい)、時はまさに押し迫った歳末、大揺れだったこの一年の締めをゆるり噛みしめてみることにでもしようか。




坂の下の雪(完)

司馬遼太郎に近づこうなど、およそ無謀な戦争に突き進むに等しいほどの盲動暴挙であった。不届き千万、後世の歴史家の検証を待つまでもなくこれが火を見るより明らかなことはまったくもって論を俟たない。厳しく咎めねばなるまい



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コメント

ここいろさま

外を見ると静かで真っ白です。
聖夜、誰もがわけへだてなく一筋の光を分かち合える、そんなクリスマスになりますように。

これから夜通しクリスマスソング弾きます。
明日の予習

投稿: KitoTan | 2009/12/24 23:40

Kitotanさま、メリークリスマス^^☆”
良い夜をお過ごしくださいね!
また来まーす

投稿: ここいろ | 2009/12/24 16:33

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