2017/03/23

春告



どこまで続く静寂の細道

足を止めてどっこらしょ

腰をおろす


そして

目をつぶる

耳を澄ます


すると

どこからか………

……ホーホケキョ♪


春告



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2017/03/21

混住



茶の間のまん中に卓袱台を置く
ふだんはアグラ、ときにゴロン

まず実家がそうだった。その後
下宿もアパートもマンションも

これまで住んだところはすべて
考えてみるとずっとそうだった


…………………………


ただ残念、この雰囲気だけは……
小学生のとき以来味わえてない

茶の間から降りれば土間と玄関

そこでは誰か何か作業をしてる
その段差に客が腰かけ話しこむ


混住



昔は近所もこんな家がほとんど
商人や職人ばかりだったからだ
「職」と「住」とが一体だった

靴屋、板金屋、蹄鉄屋、煎餅屋
豆腐屋、八百屋、魚屋、精米所……

自分もふらふら出かけ腰かけた
仕事中なぜどうしてと質問攻め
それでも大人はかまってくれた


自分の家も商売だったから同じ
ほんといろんな人がやって来た

腰かけたり上がってきてみたり
あれこれよもやま話、油を売る

地域に大人がうろうろしてた(笑)
ダンボになっていろいろ知った


混住



何が心を動かすのかと考えたら
やっぱり外に開かれたしつらえ

内と外がスルー、ラクに繋がる

あ、今メシだな、喧嘩してるな
壁なし何でもありのワクワク感
プライバシーって何?って感じ

で、実に雑多な人が入り混じる

親戚も近所も、そして旅の人も
障害者も物乞いもクレイマーも

それでもギスギスしてなかった
そして危ないとも感じなかった


…………………………


それがなぜだかその家も近所も
そしてさらに学校や会社や街も
今では何につけ壁を作りたがる

政治家も役人も、学者も記者も
ついにヨーロッパもアメリカも
外を閉ざして内側を守りたがる


…………………………


専門分化があまり進みすぎると
内輪だけの仲良しこよしに走る
学問、職場、スポーツ、音楽……

この国は昭和40年代に入ると
学校も街も一気に混じりを排除

障害者か健常か、理系か文系か
工場か住宅か、店舗か住宅か……

過保護な選別と純化ゾーニング
異質とぶつかる経験をさせない

同化は異質をみつけていじめに
結果、人も街も国もひ弱になる


…………………………


世の中がそうであればあるほど
この茶の間に戻ってみたくなる

最後はまたこんな暮らしがいい

土間でレコードとかピアノとか
年寄り子供がふらっと入るとか

これも弾けあれも弾けときたら
……ま、いっか、なんとかするべ

うるさいと怒鳴り込んできたら
……ま、いっか、なんとかなるべ


混住



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2017/03/19

熱量



春分を前にして昼夜の長さが逆転したらしい。

ということで、さっそく日の出の様子を観察。


【上】3/19 AM 6:18
【下】2/15 AM 6:33


この1ヶ月でポイントがずいぶん北(左)に寄ってる。そして高くなってる。

なるほどこれなら昼も長くなるはずだ。大地が浴びる熱量も増えていく。

これで今が真東、これから夏に向けてまだまだ左に寄ってくんだろうな。


熱量



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2017/03/18

相性 (2)



自分の楽器を命と同じくらい大切にする人は多い。長いつき合いだから、やっと探し当てたから、高価だから、……理由はさまざまだ。

なかには片時も手離せず、乗り物の席をそのために隣りにもうひとつ用意してみたり、用が終われば不慮の事故にあわないよう寄り道せず直帰してみたりなんて人までいるそうだから、この辺までなってくると常人の理解をこえるところがある。


人馬一体ならぬ「人楽器一体」、そんな愛器を大切に肩に下げて運んだりしている人なんかを見ると、なんだか羨ましくなることがある。


…………………………


なぜ羨ましいかといえば、ピアノはそうはいかないからだ。リヒテルのようにわざわざ自分のピアノを会場に運び込む人もいないわけではないが、普通はそうはならない。行った先の会場にあるピアノを使うしかないのだ。マイピアノというわけにはいかない。


そんな宿命を負ったピアノ弾き、じゃあどうしてるかといえば、まずそのピアノさんが身じろぎひとつせずデンと座ってる会場になるべく早めに着くようにする。そして、「それではきょうはよろしくおねがいいたします」と二礼二拍手一礼、深くお辞儀してそのうえでとにかくまずは触わらせてもらう。

そして短時間のうちにこっそりクセをつかむ。そうか、ここの鍵盤はどうやら機嫌が悪そうだからあまりいじったらやばいんだな、ここは痛い痛いと言ってるからできるだけ優しく扱ってあげよう、ここはもっとどんどん鳴らしてねと言ってるな、よしわかった、そこ行くど、……


少しでもそうやってそこのピアノさんと会話しておくことで、前もって馴染んでおく。この辺はなんだか人間と同じかもしれない。或る人は(確か山下洋輔さんだったと思うが)、旅をしながら毎日毎日出会うピアノ、これを女性との出会いのようなものだと言っていた。


…………………………


経験から言うとほんとにいろんなピアノさんがいて千差万別だ。タッチが重いの軽いの、ピッチが高いの低いの、ペダルが効くの効かないの、高音が鳴るの低音が鳴るの、鳴りが早いのどんくさいの、包み込むようにマイルドなのとげとげしくてキツいの、激甘なの激辛なの、お転婆なのおしとやかなの、……

こんな調子だから、会ったとたんまるでもう何十年も付き合ってたかのように何の違和感もなく話せる人もいれば、お互いえらく緊張していつまでも打ち解け合えないなんて人もいる。こっちがジョークで突っ込みを入れれば、間髪いれずにツーカーでもっと面白く返してくる人もいれば、一方では何言ってんだかと冷たくあしらわれ、お互いいつまでも?だらけになってしまってまったく意思疏通が進まないなんて人もいる。


このように「相性」というのは、もうこればかりは理屈でも何でもなく、神のみぞ知る運命の赤い糸のようなものだから、もうこうなると運を天にまかせるしかない。すると、そこで出会ったピアノさんがどんな性格であれ、そして壊れかけてたり風邪を引いてたりどんなに不調であれ、そんななかでも必ずある良いところを探してみたり、時には少しばかりおだててあげてみたりと、とにかくなんとかその範囲のなかでのベストのパフォーマンスを手探りしながら弾いていくしかない。

愚痴を言い合うことでお互い嫌な気持ちになるのは最悪になるばかりだし、しまいに喧嘩になっていくらこっちが撫で撫でしてあげても一切声を出さないなんてことになれば、ハイそれまでよ~おしまい、そうなればお客さんにも平身低頭、返金して帰っていただくなんてことにもなりかねない。


まあ、なかには生真面目すぎて、そこのところを我慢できずにすぐバタンと蓋を閉めて喧嘩別れしちまうなんて人もいないわけでもない。おそらくそういう人は家にこもってお気に入りの同居人といちゃいちゃするだけで人生を終えてしまうしかないのだろう。いや、結局その同居人すらからも逃げられて天涯孤独、孤高の「紙鍵盤」ピアニストなんてことになってるかもしれない。まあ、その覚悟ができていてそれがいいのであれば、一切の相性問題から解き放たれるのだから或る意味それも幸せなことなのかもしれない。


…………………………


ということで「相性」というやつは必ずある。ただ、完璧に相性がいい相手に出会えるなんてのは、鳥取砂丘から一粒の砂を探し出す、琵琶湖から一滴の滴を選び出す、太平洋から一匹のプランクトンを見つけ出すくらいに難しい。


問題は、そうした必ずしもピッタンコとはいえない相手に対したときにすぐに切り捨てるのではなく、その相手を知って、それと向き合って、お互いのいいとこわるいとこの了解を前提にしてそこを越えられるかどうか、つまり存在そのものがどうだこうだよりは(what)、どう対してゆくか(how)、その関わりかたのほうがよっぽど大きいことなのではないかと思ったりする。

そしてそのためには、前もって自分も相手もキャパの限界線がどの辺にあるかを知っておく、そうしてできるだけなんとかその範囲内で物事をおさめていく。もしどうしても範囲を越えるようなことがあれば放っておく(笑)……いや、ほとぼりが冷めるまで暫し適度に距離をとっておく。それさえできれば要らぬ軋轢にお互い苛まれることもないし、ひいてはこの世から戦争なんてのもなくなるのではないか、なんだかそんな気がしてくる。戦争が起こるのは古今東西いつでも、いきなり相手に対して自分にとっての完璧を求めようとする、つまり我儘になるときだ。


はて、結論はいったい何だ?(笑)


そうそう、まあそんなこんなを全部ひっくるめてだ(笑)、何の因果かたまたまピアノに出くわしたおかげでこうしていつもいつも未知のピアノさんに出会えるということ、これは人と出会うのとまったく同じで、ともすればすぐ固まりそうになるところをその都度揺さぶって新陳代謝してくれるのだからこれはこれでやっぱりこんな有難いことはないのだろうなということ。

そして何度裏切られようがどうだろうがそのたび好奇心をくすぐられてやっぱり興味津々、とりわけ触れるまではドキドキワクワクしてしまってなんだか至上の喜びなんだよね、触れてからもまた、ああでもないこうでもないと対しかたを探るのだって、自分が試されてこれまたおもしろくてしかたないんだよねという、ただそれだけのことなのでしたハイ。


相性 (2)



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2017/03/17

軽快



きのうは久々にポカポカ陽気だった

抜けるような青空にくっきり白い雲
遠い山々すら浮き立ってすぐそこだ


花粉さえ我慢すればすっかり春気分
陽気に誘われラ・ラ・ランドを観る

あれこれてんこ盛り腹一杯だったが
至るところに4ビートがあらわれて
終われば足取りララランラララン♪


軽快



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2017/03/15

相性 (1)



高校時代は下宿だったのでピアノは手元にはなかったが、それでもこっそり夜に学校の音楽室に忍び込んでは相変わらず弾くことは続けていた。皮肉なもので習うのをやめてからやっぱり好きだったというのが分かってきて、それからというもの弾くのがうんと楽しくなった。自発の目覚め。

ただ、ピアノをそうやって続けていながらも、ロックの洗礼を受けてからはやっぱりあのギターの「伸びやかにウネるサウンド」、これがどうにも頭から離れない。ピアノにはない音だからだ。隣の芝生はよく見える。


…………………………


そうこうするうちに、ジャズをやろうという年上のピアノ弾きが現れた。ベースがいないからやらないかという。ピアノのヤツに言われるのもなんだかなあと、ちょっとばかし不本意ではあったが、まあ、おもしろいことになりそうだと、なんとなく軽く引き受けてしまい、それからというもの、人から借りたエレキベースを教科書そっちのけで学校と下宿の間を持ち歩き、猛練習することになった。


ところがみんなと合わせて演奏となるとまったく指が動かない。どんどん遅れる、そして止まる、……いま考えると、下手だからおそらく指も体も一層チカラが入ってたのだろう。ガチガチになってしまって、つまり当然なのだがラクに弾けるまでにはまだまだ楽器に馴染んでいなかった。


…………………………


そんなことが続いてなかなか思うようにならないし、迷惑をかけ続けるのもいやだなということで早々にやめてしまった。もしほかに楽器ができなければまだ余計なプライドもなく続けられていたかもしれない。それに、迷惑なんてこと考えずにもっと厚かましく続けていればなんとか少しはマシになっていったかもしれない。ただ、そうは思ってみてもそれも後の祭りであった。


ということで軽く引き受けたのには、いま思えばバッハで通奏低音には馴染んでたし、あと吹奏楽でチューバをやってた経験、つまり低音のことぐらい少しはわかってるさ、どこかにそんな勘違いというか傲慢なスキがあったような気がしないでもない。それがまったくの思い込み、大いなる誤解だったのは当然のことだった。だいたいとにかく楽器が違うのだ。そうした先入観がかえって災いして結局すぐに放り投げ、必要な辛抱が足りずに終わってしまった。


…………………………


ただ、そのことで良かったこともないわけではない。どういうことかといえば

○これは予想以上に自分は不器用な人間だぞというのを思い知らされたこと

○音にもさまざまがあるが、楽器ごとにそれぞれ強み弱み、特性というものがあってどうにもならないのを知ったこと

○そんなことが重なって、ほかの楽器をやる人を心底リスペクトできるようになったこと


これは失敗したゆえの大きな収穫だった。中学のときにもやっぱり、チューバだけでは満足できなくなって、フルート、ピッコロ、アルトサックス、テナーサックス、……いろんなメロディ楽器に手を出していたずらしてみたことがあった。モノにはならなかったが、いやいやそれでもちゃんとやりさえすればできるはずさなどとまだタカをくくっていたのだが、こと今回ばかりはすっかり撃沈。おかげでやっと悟り(?)を開くことができた。


…………………………


とはいえ、それでもいまだにほかの楽器への憧れだけは変わらない。曲を作るときに思い浮かべる旋律も、どうしても知らず知らずギターやサックスのつもりになって歌っているところがある。あと、バッハを弾いていてもアドリブをやっていても、やっぱり知らず知らずそれらの伸びだとかうねりだとかを知らず知らず意識してる自分がいる。

そう考えると、いくら諦めたとはいってもまだどこかに未練があるのかもしれない。いっそ、赤ん坊のうちに最初に触る楽器がそっちだったらよかったのに、……などと思うこともあるが、こればかりは何かの定めだったのだろうから、いくら悔やんでみてもしかたがない。その昔、アフロアメリカンの人たちが音楽をやり始めたのも、たまたまそこにあった楽器を叩いたり弾いたりしてみた、ただそれだけのことだったという。選ぶ余地などなかったらしい。


話は飛ぶが、なんだかこのへんはひょっとして男女の関係にも似てるような気がしないでもない。人はいつも「相性がいいのかどうなのか……」などと疑心暗鬼になったりもしがちだが、そんなことは実はそうたいしたことでもなくて、何の因縁か出会ってしまった2人、要はこれからどうやって関係をつくっていくのかがすべて、ただそれだけのことのようなのだ。相性のことばかり考えて一緒になろうとする人より、むしろ見合いで一緒になった人のほうがなんだか幸せを築いてる、そんなケースもたくさん知っている。


…………………………


楽器の話に戻すと、ピアノは楽器の王様だなどとよく言われるが、これも別にそんなことはない。楽器は一長一短、それぞれに個性があるだけで優劣などあるはずがないからだ。ピアノの最大の短所は音をいつまでも延ばすことができないこと。こればかりはどうにもならない。どうやっても減衰してしまう。

或る先生に、気合いでその気になれば延ばせるんだ!と言われたことがあった。そのときは、なんだよ今どき精神論かよとも思ったが、今ではその気持ちも確かに分からないでもない。低音部で白玉全音符が4小節もタイで繋がったりしているピアノ曲もあるが、そんな時は自分も、実際の音がとうに消えていようが、「ンーーー!」と地鳴りのように心で引き延ばしていることがある。


ただこれも冷静に考えれば、かえって逆にそれだけ楽器の短所を了解したうえでのあがきだと言えなくもない。短所はそれはそれとしてまずは認めるべきなのだ。いったん認めてしまえれば、あとは付き合いかたの調整の問題になってくる。それがここでは気迫ということになっているのだろう。

なかにはほんとにそのことに悩んで弾けなくなったという人も知っている。ただ、これは職業の選択にも似ているところがあって、敢えて言うなら楽器にしても職業にしても所詮は道具、何かをなすためのとっかかり手段に過ぎないのだから何をやったって同じこと、一長一短はあっても出会ってしまったものを定めとして引き受け、そのなかで頑張るしかないというおそらくそれだけのことなのだろう。


というわけで「相性」、これはこれで確かに大事には違いないのだけれど、ただ、それでああだこうだ言い続けたり取っ替え引っ替えしてる暇があるくらいなら、それ以上に出会いの不思議、その運命的なもののほうに賭けてみる、そのほうが愚痴を言ってるよりはもっと何かが起こりそうだし、出来そうだよなとそう思う今日このごろ。どうやら自分探しというのは、相手探しだとか手段探しだとかに転嫁するだけで終わるわけにはいかないらしい。




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2017/03/14

地域 (2)



地域コミュニティについて交通の次は情報。


こちらに来て思うのはローカル放送が充実していること。テレビでは、東京MX、神奈川テレビ、千葉テレビ、埼玉テレビ、ほかにJ-COMはじめ各地のケーブルテレビ。そしてもっと地域密着のFMラジオ局、これもたくさんある。


そしてどれをとっても番組づくりに勢いがある。各地の地理や歴史、市町村の紹介、街のようす、人の暮らし、……いろいろ工夫を凝らしていて、それもお互いに競って切磋琢磨しているからマンネリ大手民放よりもよっぽどおもしろい。

スポーツ中継のほうも、プロの野球も(西武ライオンズ)サッカーも(浦和レッズ)地元ホームの試合はおおかたやってるし、高校野球や高校サッカーとなれば、これが驚くことになんと予選からほぼ全試合やってくれている。一方では議会の生中継だとか知事記者会見の放送もしょっちゅうやってるからなんだか少しは身近な感じもしてくる。


こんなのを子供のころから見ていれば、自然と身のまわりのことに目がいって地元愛が育まれるのはどうやら間違いなさそうだ。ひょっとして自治の精神なんてのも、別に憲法なんか持ち出さずとも、こうしたなんでもない足もとの日々の繰り返しのなかから生まれてくるのかもしれない。


…………………………


それにしても思うのは、これもやっぱりすべては経済力なのかということ。民間サイドに活力や気概があってスポンサーに恵まれているようなのだ。


これは全国あちこちを巡ってみてわかったことだが、文化が花開いた地域というのは決まって独自の強い経済力を持っていた。特に、功成り名を遂げた豪商や町衆、彼らの地元還元の心意気がどこでも伝わってきた。懐が広くてポンと差し出す。

つまり、社会にそういう余裕というか、アソビにまわせるだけの余剰がある程度ないことには、どうやら文化というのは十分には育ちにくい、そうできているらしい。


そう考えるとこの情報発信も同じことで、経済というのはやはりすべての土台、当然といえば当然だが人の暮らしを底支えする基盤だということあらためて実感する。


…………………………


というわけで、たとえば県内に数ある市町村だとか高校だとかの名前にしても、こうした放送のおかげで短期間のうちにずいぶんと詳しくなった。

あと、飛行機を飛ばして空から県内を俯瞰する番組があって、それで主要施設のおおよその位置や様子も教えてもらった。花の名所を紹介してくれる番組では、花の種類やら公園の位置やらも分かってきた。農業もまたこれ然り。さらには各地のお祭りを生中継する番組もあったりしてこれもいい。街にしても人にしても、おおよその空気くらいは知ることができる。次の一歩につながるインデックス。


さて、この地には見所はほんとたくさんあるようだ。こうして得られる情報を頼りにしながらいずれ少しずつ巡ってみることにしよう。こんな新参者に、ふとそんなふうに思わせてくれるのだから、これもやっぱりコミュニティ放送のチカラということになる。そしてそれもこれも、その前に彼らに郷土への強い愛着と誇りがあってということになるのだろう。


地域 (2)



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2017/03/13

地域 (1)



地域の足としてのコミュニティバス、地方でも都会でも普及してきてるようだ。民間だけの運営ではなかなか採算のとれそうにないコースを、在来の路線とうまく接続する形で地域内を縫うように走ってくれている。


地方では、お年寄りが「買い物」や「通院」などで利用するのがほとんどのようだが、都市部ではそのほかに、「通勤通学」の人、「営業まわり」の人、「街めぐり探訪」をする人、……実にさまざまな人が利用している。実際、意外とクルマを持たない人・会社も多いし、最近では運転をやめる人も増え始めてるから、今後もますます需要は伸びていくのだろう。


そしてもうひとついいのは、なんといっても料金が安いこと。行政が補助支援しているからだ。なかには全線均一100円なんてところもあるから、これも懐に優しくて有難い。ちょっとした距離でも歩くのがきつくなったなと思えば気軽に乗れちゃったりする。


今はやりの言葉でいえば、これも住民ファーストということになるのだろう。こうして地域の足というものがキメ細かく安定的に確保されていけば、引きこもりがちな人でも「ちょっと行ってみっか」なんてことになって、どんなに少子高齢化が進もうが、人も街もそんなのに負けないで活気づく。自治体にしたって予算のかけ甲斐があるはずだと思うがどうだろう。


実際、自分の住む首都圏近郊の小都市でも結構な需要があるようで、何度も乗ってるがそのたびガラガラなんてことは一度もなかった。今いる店の窓からはそのコミュニティバスの停留所、仲睦まじい親子の姿が見えている。休日の行楽で2人で名所巡りでもするのかな、時刻表を見ながら一緒に乗り込もうとしている。車体には「わくわく号」♥


地域 (1)



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2017/03/11

天災



あれから6年


はてこの6年、何をしてたか

足元を離れてのほっつき歩き

三陸を歩いた、関西を歩いた

そして断捨離、身軽になった



まだ6年、もう6年


いまは関東、次はどこだろう

すこしは足元は見えてきたか

新入生だった子ももう卒業式



天災

テレビで見るのとはやはり大違い


天災

脱け出したい人と脱け出せない人と


天災

何事もなかったように鎮魂の凪



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2017/03/10

人災



72年目


人災


東京大空襲、特に墨田区・江東区、下町の被害が甚大だった。軍を支える町工場が狙われた。



人災


この日本が史上最大の無差別爆撃に遭ったということ



この隅田川周辺も地獄絵だったという。スカイツリー、遊覧船、…いまは平和。合掌


人災



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