札幌
久々の札幌都心、あちこち歩きまわったあと喫茶店で一服する。
2階窓際の席に腰をおろし何気なく暫しぼうっと外を見おろす。
四番街と狸小路との交差点。
信号が変わるたび、クルマがそして人が頻繁に往来している。
そのうちどんどん闇が増していってビルの灯りがつき始めた。
ぐんぐんシバレてきているのが通行人の足早と白息でわかる。
そんな光景を無心に眺めていたら、どうしたことか、ふと懐かしさのようなものが込みあげてきて、そしてなぜだか札幌というものが見えてきたような、そんな不思議な感覚におそわれた。
そういえば全国ほかの街を旅する時も、路地裏を歩いたあと最後はやっぱり中心部でぼうっと人の動きを眺めることが多い。ひょっとするとその習慣でそれと同じように外側からの見方になっていたかもしれない。
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札幌の創建は明治2年(1869年)だからこの街は今まだ143歳の若さだ。自分はここへ来て34年が過ぎたから、計算してみると街の歴史のうちなんと4分の1もの長さを共にしたことになる。
とりあえず他人事のようにへぇ〜!?とびっくりしてみるが、そう考えると自分の知らないそれ以前の4分の3、これは意外と短くてせいぜい3〜4世代にすぎないことに気づく。そんな短期間のうちにこの200万人大都市が出来あがってしまったのだから、これはもう信じられないくらいのもの凄いスピード。そうすると、それは一体どんな時代だったんだろうとやっぱり気になってくるというものだ。
そうか、よし、4分の1ついでに、これまでの143年を4期に分けてみたらどうなるんだろう。等分だと36年だからそれを大体の目安にして、どこでどう分ければいいのか、………これはおもしろそうだ。
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第1期
1869〜1905年 (明治2〜38年)
まずは明治維新から日露戦争のころまでだろう。欧米列強に追いつき追い越せでなりふり構わず新しい体制を急ごしらえ、ついにロシアを破って意気揚々としていた時代。しかし、背伸びのし過ぎは軍費捻出の借金まみれとなって、このあとどんどん萎縮していく。
この時期の札幌は、開拓使が置かれて行政の中心になってはみたものの、しばらくは公共事業以外は経済はさっぱりだった。ビールなどの官営工場を払い下げて民営化してみたり、なんとか民間資本を上から育てようともするがそうそううまくはいかない。やっと軍需景気のおかげで繊維を中心に工業が栄えるようになり、道内から子女をかき集めたりで人口も伸び、先進商業都市だった函館と小樽に肩を並べるようになっていく。
第2期
1906〜1945年 (明治39〜昭和20年)
時代は大正から昭和へ。列強に肩を並べその気になったり、はたまた疲れたりで今度は内向きに停滞していく。そんなこんなで、まったりとどまっているうちにイライラ軍部が尖鋭化、世界はドンパチ不穏な動き、第一次大戦〜経済恐慌〜第二次大戦へとまっしぐら暗黒の時代になだれこんでいった。
この時期は祖父も父も出征しているから意外とちょっと前のことだ。北海道は内地ほど空襲は受けなかったけれども、夫や息子を兵に差し出してどん底に突き落とされた人は親戚にも近所にもまわりにたくさんいて、その傷を戦後になってもずっと引きずった。ちなみにこの時代の空気、なにやら今もこれに似た兆しがしないでもない。
第3期
1946〜1985 (昭和21〜60年)
敗戦の荒廃から立ち上がって、あれよあれよ言わずと知れた高度経済成長の時代だ。戦中戦後の大変だった様子は親からもずいぶんとリアルに聞かされている。アメリカの庇護のもと工業製品の輸出で世界を席巻する振る舞いは、皮肉も込めてエコノミックアニマルと呼ばれた。ただ、戦後から40年目になる1985年プラザ合意を機にその地位から転げ落ち始める。まっしぐら突き進んだ高度成長はここで終わった。
札幌は、この右肩上がりの経済成長のもとで本州資本が入り込み支店経済として組み込まれる。北海道開発予算をはじめ国からの潤沢な財政支援にも恵まれた。人口は世界に類を見ないスピードで膨張を続けたし、街はどんどん外側に拡大、1972年冬季オリンピックの助けを借りて今のインフラを整えた。
第4期
1986〜2012 (昭和61〜平成24)
過去の栄光を諦めきれずに夢よもう一度、官民あげてバブルをやみくもに仕掛ける。それいけドンドン踊らにゃソンソンと横並びの狂喜乱舞、札束をばらまいてこぞって浮かれてはみたものの、しかしやっぱりそのツケは大きかった。バブルが崩壊した1990年代以降は、安定成長どころか右肩下がりが止まらない。失われた10年、20年、……身動きできぬままに今にきている。
札幌も例にもれずで、さらには中央からの保護もままならなくなったのだから、今や寄りかかるものがなくなって途方にくれているといったところ。膨張し続けた人口も遂に頭打ち、やっと青年期を脱したところで果たして大人に………この143年の蓄積が試される。
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ざっとこんなところか。
こうしてみると、自分が札幌へ来たのは1978年(昭和53年)だったから、そのあと10年足らずでバブルが始まったことになる。
振り返ってみると、それからというものあれやこれやゴチャ混ぜの移行期、以前の後始末だったり以後の仕込みだったり、これを行ったり来たり進んだり戻ったり、そんなこんなでもがいてきたんだなというのがうっすら見えてくる。
縁もゆかりもなかったこの地に単身乗り込んで、仕事もそうだが音楽でもいろいろなことがあった。そしてこの間に、結婚もして子供も生まれてその子供も自分とは逆コースで東京へ出て行った。不思議なもので気づけばほんとアッというまの走馬灯、思えば遠くまで来たもんだ。
ふと我に返ると窓の外はいつのまにか雪が舞っている。
どこへ向かうのだろう、若い人たち、年老いた人たち、
…………それそれが思い思いに行き交っている。
若い頃から何度見てきたことだろうこの風景。
ひとときは寝泊まりまでしていた場所だった。
街はあの頃から変わっていないように見える。
………なるほど、懐かしいわけだ。
この静かな距離感がそう思わせる。



















