2012/01/30

札幌


久々の札幌都心、あちこち歩きまわったあと喫茶店で一服する。
2階窓際の席に腰をおろし何気なく暫しぼうっと外を見おろす。

四番街と狸小路との交差点。
信号が変わるたび、クルマがそして人が頻繁に往来している。
そのうちどんどん闇が増していってビルの灯りがつき始めた。
ぐんぐんシバレてきているのが通行人の足早と白息でわかる。


そんな光景を無心に眺めていたら、どうしたことか、ふと懐かしさのようなものが込みあげてきて、そしてなぜだか札幌というものが見えてきたような、そんな不思議な感覚におそわれた。

そういえば全国ほかの街を旅する時も、路地裏を歩いたあと最後はやっぱり中心部でぼうっと人の動きを眺めることが多い。ひょっとするとその習慣でそれと同じように外側からの見方になっていたかもしれない。



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札幌の創建は明治2年(1869年)だからこの街は今まだ143歳の若さだ。自分はここへ来て34年が過ぎたから、計算してみると街の歴史のうちなんと4分の1もの長さを共にしたことになる。


とりあえず他人事のようにへぇ〜!?とびっくりしてみるが、そう考えると自分の知らないそれ以前の4分の3、これは意外と短くてせいぜい3〜4世代にすぎないことに気づく。そんな短期間のうちにこの200万人大都市が出来あがってしまったのだから、これはもう信じられないくらいのもの凄いスピード。そうすると、それは一体どんな時代だったんだろうとやっぱり気になってくるというものだ。

そうか、よし、4分の1ついでに、これまでの143年を4期に分けてみたらどうなるんだろう。等分だと36年だからそれを大体の目安にして、どこでどう分ければいいのか、………これはおもしろそうだ。



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第1期
1869〜1905年 (明治2〜38年)

まずは明治維新から日露戦争のころまでだろう。欧米列強に追いつき追い越せでなりふり構わず新しい体制を急ごしらえ、ついにロシアを破って意気揚々としていた時代。しかし、背伸びのし過ぎは軍費捻出の借金まみれとなって、このあとどんどん萎縮していく。

この時期の札幌は、開拓使が置かれて行政の中心になってはみたものの、しばらくは公共事業以外は経済はさっぱりだった。ビールなどの官営工場を払い下げて民営化してみたり、なんとか民間資本を上から育てようともするがそうそううまくはいかない。やっと軍需景気のおかげで繊維を中心に工業が栄えるようになり、道内から子女をかき集めたりで人口も伸び、先進商業都市だった函館と小樽に肩を並べるようになっていく。


第2期
1906〜1945年 (明治39〜昭和20年)

時代は大正から昭和へ。列強に肩を並べその気になったり、はたまた疲れたりで今度は内向きに停滞していく。そんなこんなで、まったりとどまっているうちにイライラ軍部が尖鋭化、世界はドンパチ不穏な動き、第一次大戦〜経済恐慌〜第二次大戦へとまっしぐら暗黒の時代になだれこんでいった。

この時期は祖父も父も出征しているから意外とちょっと前のことだ。北海道は内地ほど空襲は受けなかったけれども、夫や息子を兵に差し出してどん底に突き落とされた人は親戚にも近所にもまわりにたくさんいて、その傷を戦後になってもずっと引きずった。ちなみにこの時代の空気、なにやら今もこれに似た兆しがしないでもない。


第3期
1946〜1985 (昭和21〜60年)

敗戦の荒廃から立ち上がって、あれよあれよ言わずと知れた高度経済成長の時代だ。戦中戦後の大変だった様子は親からもずいぶんとリアルに聞かされている。アメリカの庇護のもと工業製品の輸出で世界を席巻する振る舞いは、皮肉も込めてエコノミックアニマルと呼ばれた。ただ、戦後から40年目になる1985年プラザ合意を機にその地位から転げ落ち始める。まっしぐら突き進んだ高度成長はここで終わった。

札幌は、この右肩上がりの経済成長のもとで本州資本が入り込み支店経済として組み込まれる。北海道開発予算をはじめ国からの潤沢な財政支援にも恵まれた。人口は世界に類を見ないスピードで膨張を続けたし、街はどんどん外側に拡大、1972年冬季オリンピックの助けを借りて今のインフラを整えた。


第4期
1986〜2012 (昭和61〜平成24)

過去の栄光を諦めきれずに夢よもう一度、官民あげてバブルをやみくもに仕掛ける。それいけドンドン踊らにゃソンソンと横並びの狂喜乱舞、札束をばらまいてこぞって浮かれてはみたものの、しかしやっぱりそのツケは大きかった。バブルが崩壊した1990年代以降は、安定成長どころか右肩下がりが止まらない。失われた10年、20年、……身動きできぬままに今にきている。

札幌も例にもれずで、さらには中央からの保護もままならなくなったのだから、今や寄りかかるものがなくなって途方にくれているといったところ。膨張し続けた人口も遂に頭打ち、やっと青年期を脱したところで果たして大人に………この143年の蓄積が試される。



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ざっとこんなところか。


こうしてみると、自分が札幌へ来たのは1978年(昭和53年)だったから、そのあと10年足らずでバブルが始まったことになる。

振り返ってみると、それからというものあれやこれやゴチャ混ぜの移行期、以前の後始末だったり以後の仕込みだったり、これを行ったり来たり進んだり戻ったり、そんなこんなでもがいてきたんだなというのがうっすら見えてくる。

縁もゆかりもなかったこの地に単身乗り込んで、仕事もそうだが音楽でもいろいろなことがあった。そしてこの間に、結婚もして子供も生まれてその子供も自分とは逆コースで東京へ出て行った。不思議なもので気づけばほんとアッというまの走馬灯、思えば遠くまで来たもんだ。


ふと我に返ると窓の外はいつのまにか雪が舞っている。
どこへ向かうのだろう、若い人たち、年老いた人たち、
…………それそれが思い思いに行き交っている。


若い頃から何度見てきたことだろうこの風景。
ひとときは寝泊まりまでしていた場所だった。
街はあの頃から変わっていないように見える。

………なるほど、懐かしいわけだ。

この静かな距離感がそう思わせる。




札幌



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2012/01/28

月光


第一楽章

月光


第二楽章

月光


第三楽章

月光


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2012/01/26

日本


日本


帰りたい 帰れない




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2012/01/23

グレングールド


少し前になるがグレングールドの映画を観た。


これまでもいろいろと映像が残されているし扱った本も多いが、今回の映画は、音楽やラジオ番組制作といった表の顔だけでなく、心の内側の生活について生前近かった人たちのナマの証言を集めている。

原題は「Genius Within 〜The Inner Life of Glenn Gould」。
初めて知ったことも多く、ようやく全体像が浮かび上がってきてグールドの難しさにまた一歩近づけたような気がする。


ただ、50歳で他界してからもう30年も経つというのにいまだにこれだけ語り継がれているのだから、近づいても近づいても離れていくような、やっぱりいつまでも謎の残る人なのだろう。まだまだこれから何十年何百年と語り継がれる不世出の天才なのだと思う。

天才というものの背負う十字架、哀しさといったものについては書き尽くせないので観てもらうしかないが、技術的な面ではクリアなタッチ、バネ、スピード、完璧な指のコントロールがどうして身についたのか、高さ30㎝の椅子の理由も含めてやっと少し見えてきたのは収穫。


ついでにバッハのこと。


生きた時代のこともあって宗教との関係でいろいろ言われることも多いが、そんなことを超えてなんだかんだ言ってもやっぱり今の多くの音楽の根本になっていること、あらためてグールドが教えてくれる。

高ー低、表ー裏、……対位法の無限な展開といい、スリリングなテンションやリズムのバリエーションといい、しかも、そうした宇宙にも通じるような自由な音の体系を、一方で制約だらけの人間のフィジカルな構成とうまく結びつけてもいるから凄い。それらを発見するたび、あまりに理にかなっていてこのバッハという人は一体どこまで見通していたのだろうと驚きの連続である。

通奏低音にしても今の即興ヴォイシングにつながっていくわけだし何につけてもそこからの派生、そしてさまざま変幻自在な弾き方をも許容してくれる。フリードリヒグルダやマルタアルゲリッチのフェイクにも度肝を抜かれるが、とりわけグールドはバッハを弾きながらそのバッハを突き抜けてグールドになっている。17〜18世紀というあの息の詰まる時代に生きながら、すべてを包み込むことになるこの自由度の高いフレームを創りあげた懐の深さは一体何なんだろうと思わずにはいられない。


バッハはやってもやっても底知れず奥が深い。ぼーっとしているとマンネリ退屈で見逃してしまいそうになるその中に、ひとたび耳を澄まし目を凝らしてみると、実はとんでもない原石とそれを磨く可能性が無尽蔵に隠されていることに気づかせてくれるのはやっぱりグールドだった。基礎の日課、もっともっと時間をかけることにしよう、そうすればその先にどんな自分が見つかるかドキドキワクワクを絶やさずに生きていけそうだ。



「グレングールド天才ピアニストの愛と孤独」

http://cinema.pia.co.jp/title/155580/


グレングールド


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2012/01/20

夜道3


5:00

夜道3


6:00

夜道3


7:00

夜道3


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2012/01/18

夜道2


夜道2


夜道2


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2012/01/17

夜道1


17:00

夜道1


17:30

夜道1


18:00

夜道1

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2012/01/15

排雪


積雪量がふえてくると雪のやり場が大きな悩みの種になるのが北国の冬。特に自分の敷地が狭かったりすると、正直いって隙あらば他に押しつけてしまいたくもなる、そのくらい悩ましい問題だ。区画が広くゆとりをもって開発された郊外の住宅地ならまだしも、古くからの密集市街地では堆雪をめぐる相隣関係のトラブルは枚挙にいとまがなく日常茶飯事だ。


このケースも隣接の川は雪捨て場にもってこいなのだろう、店舗駐車場の有効スペースをできるだけ広く確保しようと、降り積もった雪を人目を憚ることなくガンガン外に押し出し投げ捨てている。相手が顔の見える隣人なら毎日の付き合いもあるので控えるものも、それが公有地となれば、これもっけの幸いとばかりに人間どうやら自制が効かなくなるようだ。


その結果、無惨で見苦しい光景を晒すことになっていて、それだけでも経営者の品性は推して知るべしだろう。そして何より、この光景を子供たちが日常的に当たり前のものとして目にしながら育っていくのだと思うと、私益>公益という意識の構図が世代をこえて受け継がれ、負の連鎖循環はそう簡単には断ちきれそうもないのかと、なんだかがっかりしてしまう。


 ……………………………………… 


実はこうして河川に捨てられた雪というのは、大量に固まると水の流れをせき止めて、溢れて沿線一帯を水浸しにしてしまうことがよくある。何度も目にしてきた。つまり、自分ばかりが都合よく得するなどというふうに、そうそううまくはできていないのが世の常なのだろう。


結局まわりまわって自分に戻ってきて自業自得、バチがあたるようになっている。自分だけならまだいいが、まわりの人たちまでをも巻き添えにしてしまう。だから、自分だけの目先の利害に追われるだけでなくして、少しでも知恵があるのならもうちょっと長い目で、そして物事を広く見渡してみる、そういう想像力も普通にはたらかせながら賢く暮らすようにしたいものだ。自然破壊など環境問題も同じことなのだろう。昔は、特に学歴も何もあるわけでない爺ちゃん婆ちゃんたちや近所のおっさんたちから、古くからの言い伝えとして何度となく聞かせられてきたことだ。


経済というものも、そもそも決して今のように目先ばかりを追いかけて、手段を選ばず自分さえよければというものでもなく、物やサービスを通じてのコミュニケーション、結局は人と人とのつながり、もっともっと社会的な営みであるというのが本来の姿だったはず。


実際にも、商道徳というのか商慣行というのか、ひと昔まえまではそれだけは侵さない暗黙共通のルールというのがあって、皆それに従ってそのうえで正々堂々と勝負していたのを覚えている。そしてどんなにさらなる私欲に駆られたとしても、そこだけは姑息にならずジッと痩せ我慢して一線を守っていたように思う。コミュニティ共生の維持にしてもそのひとつなのだろう。「信なくば立たず」で、そうでない者は誰からも相手にされず必ず世間からハジキ出された。


 ……………………………………… 


そう考えると、何かに想いをいたす「想像力」とか「痩せ我慢」とか、これら人間をやっていくうえで欠かせなかったものが、いつのまにやらすっかり衰えてしまったのかもしれない。そんな矜持が随分カッコよく思えた時代が少し前までは確かにあった。そして、そんな大人たちがまわりにもたくさんいて、いずれはそうなりたいな、なれるんだべか、などとまごつきながらも背中を追いかけていた気がする。


私欲に駆られての境界侵犯というのは、なかでもこれ以上カッコわるいことはないエゴ丸出しであって、とても世間には顔向けできない恥ずかしいことであった。おサムライさんなら切腹ものだったろう。そんな一方で、なけなしのおにぎりを分け合って危機をしのいだ東北被災地の人たちの例に救われた人も多い。辺境の地にはまだ残って辛うじて生き続けているこのニッポンの文化、それをどこか遠くへ追いやってしまったのは一体何なのだろう。


それに、ほかの誰かもやってるんだからと言っては、さしたる理由もなくそれを口実にしてあとを追っかけるだけの横並びというのもいただけない。自分というもののない、ひとたび何かあれば人のせいにばかりして、ともかくかいくぐって生き延びていけさえすればよいなどというのは、自己責任の覚悟のない最も冴えないことのはずであった。なぜだか最近では軽蔑の対象にもならずに済んで、いやむしろ大手をふってまかり通るようにさえなっているが、これもやっぱり人の顔が見えにくくなったからか。


だとすれば、これからもデジタル化が進んでバーチャルなシェアがどんなに高まっていくとしても、いやそれだからこそ、同時にリアリティの土台はしっかり固めておいて、あと想像力を普通にはたらかせる、そんなトレーニングは欠かしてはならないのかもしれない。言い換えれば、所詮、屁理屈に走るような理性のお勉強ばかりに熱をあげるくらいなら、今は少しそれを抑えてでも、歌でも絵でも小説や俳句でも、サッカーでもラグビーでも柔道でも相撲でも、そして近所の人との日々のやりとりでも、手触りのある生身の人間とのぶつかりあいとか情感の交流といったものに時間をまわしていったほうがいいのではないかとも思ったりする。そんなゆとりはねぇぞ!とすぐさま怒られそうだが、一見まわりくどい寄り道のように見えても、断然そっちのほうが未来の明るい展望が開けてくるのはどうやら間違いなさそうである。




排雪


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2012/01/13

格闘


格闘

ざわざわぁー ごーーッ
びゅびゅんぐるぐるびゅびゅびゅぅーん
うッ ううッ ううううッ
ぶぁーっ ばたばた ばたばたばた
いだだ いでいでッ あいでぇーー
ごーごーごごーッごごごごーーッ



格闘

ホラつもる フルふれふらば ホレたまる




マイナス2ケタ北海道、冬いよいよ厳しく……




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2012/01/11

自転


12:00

自転


17:00

自転




足止める 地球はまわる 止まらない


過ぎゆく我の 今は今のみ







1月11日11時11分、……あ、12分



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2012/01/09

初詣


初詣、今年は例年よりも人出が多い気がする。
震災、デフレ、……世情が現われているのか。


都会では会社をあげて行くことも多いようだ。
組織一丸となって神様にお願いするのだろう。

この辺は意識も行動も田舎の人より組織的だ。
田舎はまだまだ個人参拝、せいぜい家族とで
無病息災、進路、恋愛、………私的なことだ。


確かに、高度成長の過程で家族が解体されて
個人がバラバラに放り出されていったなかで、
都会では会社がその受け皿になった面がある。
色々面倒をみたりで肩代わりを果たしてきた。

社員寮、社員旅行、サークル、運動会、成人式、
見合い、飲み会、終身雇用、再就職、……



しかし、疑似家族もこのまま続くとも思えない。
実際にも今やほとんどのことがもう崩れている。

会社が面倒みきれなくなったというのもあるが、
大樹の陰に隠れていれば安泰の時代は終わって
もう会社を通じて世の中を見るだけでも足りず
むしろ個人がもっと前面に出て力を発揮する、
会社はその一手段くらいに考える時代がきた。

厳しくてもこの流れは止められそうにない。




家族から離れ、今度は会社から離れる……

で、次の場所は?


また家族に戻ってゆくのか
別なつながりをつくるのか


何につけても極端から極端へまっしぐら
行きつ戻りつ振り子のように揺れ動いて
やってきたこの国、そろそろどこか自分
たちに合ったふさわしい場所を見つけて
おかないとキョロキョロそわそわばかり
そうしてるうちに終わってしまいそうだ。

グローバル危機とかでどうやらどの国も
保護主義に走るキナ臭さも漂い始めたし
このままだとなんだかすべてが内向きな
守りにハマって抜け出せなくなりそうだ。
なあなあ撫で合う引きこもりは避けたい。



寒さが凍みる神社への道すがら
そんなことがめぐっていたら、
徒党を組んだ黒ずくめの隊列が
ひっきりなしに行き来している。

集団のせいか妙に威勢のいい彼ら
参拝でごった返していた狭い道を
あくまでそこのけそこのけ強気だ。
忙しいのだろう道をあけてあげた。



初詣



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2012/01/07

初暦


正月もそうこうしているうち

家族揃って買い物なのだろう

大型店の並ぶバイパス周辺は

いつにもましてクルマが多い


今や地方ほどクルマが必須で

辺りを見回しても人は見えず

歩いているのは自分ひとりだ



初暦



まわりをブラブラ歩いてみる


すると目の前に空き地が……



初暦



広いなぁ、なんにもないや

白いなぁ、洗われるよなぁ


子供のころ転がっては遊んだ

懐かしや Virgin Snow !



と思いきや、足跡が!?



初暦



………あはは、散歩だ

ええなぁ


声をかけてみる


帰って雑煮らしい


なんだろ幸せそうだ



慎ましくも明るい正月


清貧で伸びやかな未来



すこし心が軽くなる




♯ たし算も ひき算もあり 初暦 ♭




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2012/01/05

再生


地方がいよいよ行き詰まってるという

年明け早々いくつかそんな話を聞いた

経済、雇用、財政、高齢化、農地、森林、……


まだまだ先細り公共事業だのみらしい

道路、ダム、基地、原発、……



 ……………………………… 



その公共事業も………


街はずれに造ったバイパス国道

沿道には広々駐車場の店が進出

ほとんどがナショナルチェーン


街の中心はいつしかそこへ移動

地場の商店街はすっかり廃れて

次代を担う後継者はほぼ皆無に

年寄り子供たちは買い物難民に

そして借金のツケは子供たちに


こんなふうに地域はバラバラの

ズタズタにされて今や青息吐息


そして


次は高速道路、次は新幹線……



 ……………………………… 



これを変えると言って勇ましく

決意表明と約束の連呼があった


「コンクリートから人へ!」

「子供は社会が見守る!」

「地域主権実現は一丁目一番地!」


そして


口先だけの上滑り軽薄な言葉

責任負わずに済む他人コピー



どうしてしまったんだか日本



 ……………………………………… 



今年はもろもろ待ったなしでの

日本再生元年ということらしい


どん詰まりをつくり直す

またスタート生きてみる


日本をいうなら自分から

まず横並びからやめねば



過去の上に何を重ねるか

自分の体を通して感じる

自分の頭を使って考える

自分の音を見つけたい



かぐろば(黒葉)に 沈みて匂う 夏霞

若かる我は 見つつ観ざれき


(北原白秋〜失明後の故郷にて)



再生


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2012/01/04

鳥瞰


山も見える

鳥瞰


海も見える

鳥瞰


街も見える

鳥瞰



何でも見える


鳥っていいな



いつか自分も

大空を自由に飛び回る

鳥の曲を書けるようになりたい。

鳥瞰




あけましておめでとうございます。

今年もなんとか書き続けたいと思います。よろしくお願いします。

よい年になりますように♪




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2011/12/30

希望



今年も随分と撮った写真


ごちゃごちゃを少し整理


何をしてきたかが見える


中でも目に留まったもの





希望


それでも離れぬ 三陸の海





希望


それでも駆ける 子供の未来





消せない記憶


捨てない希望




よいお年を♪






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